・外国文学の特質
・作品分析、その面白さ
などなど。
・明治以来、日本人が翻訳し読み続けてきた外国文学のいかがわしさ
・日本語と西欧語には互換性がない、という本質的な問題を抜きにし
て、西欧文学の正しい認識はありえない。
・どんなに読解力があっても、西欧文学の本質は、日本語で読む限り
その意味把握には限界がある。それを乗り越えるには、原書で読む
しか方法がない。
・たとえば、村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の誤訳は
目にあまる。柴田元幸という現代アメリカ文学の専門家が、全く
J.D.Salinger <The Catcher in the Rye>が読めていないのだ。
・Postmodernismを20世紀後半に輸入した日本は、西欧語と日本語の
差異を認識しないまま、ポストモダンを金科玉条として、日本文学
に当てはめるという愚を犯した。
・村上/柴田の主張: 『キャッチャー』は、どこへ行くか判らないが
とにかく行けるところまで行ってみようとする、(だから)いろい
ろな可能性を秘めるブラックボックスのような作品、これぞポスト
モダンだ、というのだ(『サリンジャー戦記』文春新書)が、とん
でもない誤読だ。きちんと読めば、主題はただ一つ、それが判って
いない二人は、見事に誤読の証拠をタイトルそのものに掲げてしま
った。日本語訳には、原書タイトルがつけている<The>(ザ)が脱
落している!!!村上訳では、「キャッチャー」がだれか、わから
ない!これでは、小説にならない。