Raymond Carver, "Blackbird Pie"

An analysis of "Blackbird Pie" (New Yorker, 1986/7/7) (in preparation)

 

・General: Misinterpretation by Haruki Murakami in his translation

・The structure:Truly poetic 4-part form

・Theme: Last Testament: Comparison between BP and Nakajima Atsushi's "Sangetsuki"

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詩人で作家であるカーヴァーの奥さん(Tess Gallagher)さえも(多分)未だに読み解けていない謎に満ちた「名作」。カーヴァーの死の2年前に、死を覚悟して、この世にさよならを言おうとして書かれた感動篇。中島敦の「山月記」に繋がる作品でもある。

 書くことを生業としているらしい主人公が、ある霧の深い晩に謎めいた一通の「手紙」を「奥さん」から貰う。内容は、あなたとはもうやっていけない、という絶縁状なのだが、その手書きの手紙の「筆跡」がいつもの奥さんのものではない。奥さんは纏めた荷物と一緒に玄関先の庭で、迷い込んだ馬の首にしがみついて泣いていた。そこへ馬主と警官が車でやってきて、奥さんは馬主の車でバス停へと去る。残された主人公は狐につままれたような、不可思議な出来事につじつまを合わせなければならないのだが……。

 本国のアメリカ人がみなこの離婚騒動の話に戸惑っていて、これをカーヴァーの傑作とする批評は、書かれて30年後の今日にも未だに現れない。カーヴァーの全訳を完成させた村上春樹も、この作品の意図が掴めずに、そのテクスト中の判らない文章をいくつか並べて、言い訳(解説)を書いている。(村上春樹翻訳ライブラリー、レイモンド・カーヴァー『象』(2008))

 ぼくは20年ほど前に『見つめあう日本とアメリカ:新しい異文化の交差を求めて』(南雲堂、1995年)というアメリカ文化論集の中で、この作品の解釈を示したが、何の反響もなかった。作品があまりにも荒唐無稽に見えてしまって、これが現代芸術の粋であるとは、だれにも受けとめられなかったからだ。

   なぜ読みそこなうのか、なぜもっと面白く読めないのか。それは、この作品の構造的な「美しさ」が、大方の読者に見えないからだ。それは、口酸っぱく繰り返すが、作品の「かたちsignifier」を見ようとしないからだ。作品の「意味signified」は、その「かたちsignifier」を分析しなければ判らないという「文学作品理解の鉄則」を知らないか、無視しているからだ。

 中島敦「山月記」の中に埋め込まれた七言律詩が七つの部分を示唆しているように、”Blackbird Pie"には四つのソネット(イタリア風の十四行詩)が隠されている。これを見つけたときは、作者の<真>の「情緒(漱石の<f>)」が判り、思わず感動の涙を流してしまう。この作品は、カーヴァー作品の<真善美>を比喩的に語っている。2017月9月刊行予定の『三つの純心物語   日英語による文学の本質的な差異』(仮題)で構造分析。ご期待を乞う。