半年もお休み

三月初旬からアメリカにいて、5月23日帰国予定になった。次の本『三つの純心物語 日英語による文学の差異』(仮題)の原稿が7割ほどできたところで、資料が帰国しないと手許にないので、先に進めない。

 R.カーヴァー・J.D.サリンジャー・森鴎外の、詩的で純な「こゝろ」の物語――「ブラックバード・パイ」(1986)・『ライ麦畑でつかまえて』(1951)・「我百首」(1909) ――が、20世紀を見渡す恰好な文学の一例となればと思う。

 純な心の保持がどんなに難しい時代かを、うまく表現する3作だが、世の中では誤読されていて、それぞれが詳細な分析に相応しい珠玉の作品となっている。この本の終章では、日英語による文学の本質的な差異について、この時点でぼくが達した結論を総括して、7冊目の出版の一つの区切りとしたい。

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コメント: 1
  • #1

    渡辺 義人 (金曜日, 19 5月 2017 16:42)

    今、我百首を55番まで解析しましたが、先生の新しい本が出版されるまでには全部解析が終えるようにしたいと思います。先生と同じ解釈ができていれば、うれしいのですが・・・。