明日帰国

 長く感じる二か月だった。ということは、日本にいるときより、毎日が充実していたということだろう。ほとんどラップトップの前で過ごしたことになるが、梅野きみ子の『源氏物語』注釈本のテクスト化(索引編作成のため)も手伝ったりして、自身のためにも、研究のありようや、とるべきスタンスについて知るところがあった。

 

 昨夜は久しぶりに深夜まで霧が出ずに、月齢6-7の月が南の空に鮮やかにかかっていた。そこで――

    大和国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる 坂上是則

      あさぼらけ有明けの月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

    大和国に行っていた時に雪の降ったのを見て詠んだ歌

      夜のしらじらと明けるころ、有明の月がほんのりと照っているのと見まがい

      そうに、吉野の里に音もなく降っている雪よ。(『古今集』#332、p.144)

 

 こういう口訳を見て直感的に、おかしいと思わなければ、歌はまともに鑑賞できないはず。ここにある「けり」と「あり」を「日本語」の項目で、もう少し詳しく書くことにする。

 帰国の時の「チェックリスト」が、飛行機のパイロットが飛ぶ前にするルーティン・チェックのように、手帳にある。その一項目に、車の「バッテリーケーブルを外す」というのがあって、これは、もう車に乗る必要がないと決めたときに行う。出発間際に不測の事態(たとえば、一昨年のように、高速道路の渋滞で停車していたときに後ろから追突された)が起こると、その処理は一日では終わらなくなるので、帰国数日前から不必要な外出を控えることにしている。本当はCostcoへもう一度行きたいのだけれど、万一の事故のことを想像しただけで怖くなってやめる。

 冷蔵庫の始末、インターネットの休暇願い(日本と違って、一月$10で、電話とネットを止めてくれる)、同様に水道の停止、車の保険の一部(運転リスクについての保険)の停止、などなど、日本ではいてもいなくても取られる経費が、アメリカでは節約できる。そのために、38年もこの家が維持できたのだから、その点は有り難く思わなければならないだろう。

 明日の午後まで、洗濯/掃除/水・ガス/トイレなどの最終処理以外はすべて用意が調う。本棚に小町谷照彦『拾遺和歌集』(新大系1991)があったのを忘れていた。開けてみると、『古今集』(新全集1994)と同じように、「けり」について、望ましくない口語訳がたくさんみつかる。また、同じように、助動詞「あり」(現行の「り」)についても、ある!そこで、最後の24時間の大半を『拾遺和歌集』を眺めることに使うことにする。

 

 

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    胡蝶 (月曜日, 19 9月 2016 22:04)

    アメリカにいらっしゃる方が、うんとお仕事が捗るよですね。面白く拝読しました。