日本文学の方法序説

日本文学の方法序説 · 31日 7月 2020
日本文学の特質を若い世代に向けて説明する本を書いている。内容は、前回のブログで列挙した14作品の構造分析による主人公・主題の抽出方法。それが「構造signifier」の分析以外にはないことを繰り返すほかない。たとえば、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』: 一体何が言いたくて書かれた作品かが、一読しても判らない。主人公が「私・僕」で語る物語は、普通自分が何者であるかを見つける(たとえば『草枕』、たとえば「檸檬」)作品だが、『限りなく・・・』の主人公僕は、巻頭から巻末まで麻薬漬けなので、自分から逃げ回っている男が自己啓発できるはずがないのではなかろうか。おまけに、この作品は主人公による「あとがき」がついていて、そこで「俺はあの頃と変わっていない」と明言している。主人公が「変身」することで文学が成り立つとすれば、何も変わらない主人公を書いても文学にならないことを宣言してしまっている。ならば、『限りなく・・・』をここで敢えてとりあげる意味はないはず。  文学は社会学ではない。ここには、「如何に生きるか」という仮説を提出するのが「文学」という定義に外れた例として、掲げる。