帰国まで三週間足らず

InDesignの『紫式部集』論、大体できたつもりでいたところ、読み返してみると間違いがそこら中に見つかる。ということは、いよいよボケの始まりらしい。

  一字一句間違いのない本はないかも知れないが、こんなに見つかるのでは、出版後にも出てくるミスが思いやられる。ぼくの最初の本で『吾輩は猫である』を『我輩は……』とやらかして以来、ぼくの友だちはぼくの漱石論を信用しなくなった。たしかに、こんな初歩的なミスを冒す人が、漱石を読めているはずがないと、その人の常識は判断したのだろう。しかし、そのぼくが十六年後の『漱石のたくらみ』では、その友だちもびっくりする読みを示せたのだ。よかれあしかれ人は変身する動物なのだろう。

  国文研の人たち四人とナパのワインカントリーへ出かけた日は、日中このベイエリアにはない暑さが感じられ、久しぶりの夏の一日だった。その内のひとり、Iさんのエッセイ――ヤマトコトバで論文を書くことの難しさ――を、前の晩読んでいたので、その話題から『源氏物語』はすごいという話になった。そういう意味では、『紫式部集』はもっとすごい。『源氏物語』全五十五巻が、どのようにして成立したかを、仏事・役職名などのやむを得ないことば以外は、ほとんど漢語を詞書にも使わない百二十八首の歌で書き切っている。その家集を分析する今度のぼくの本は漢語だらけ、どう見ても式部の力量の足許にも及ばない。

  式部の話題転換のタイミングとか、二つの話題をつなぐ妙味とか、判ってくると自分でも真似したいと思うのだけれど、うまくいかないのは、この文もこれで4パラグラフ目なのに、どこに落ち着くか、まったくの行き当たりばったりなのだからいやになる。

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ヤマトコトバの文法の、文科省が検定する教科書で、いつまで経っても直らない事項の一つ、助動詞「り」(四段サ変命令形接続)について、こんどの本の歌の中で恰好なところがあったので、注意を促しておいた。

 

   #98 (かひ沼の歌)

  世に経るに なぞかひ沼の いけらじと 思ひぞ沈む そこは知らねど

 

 この「いけらじ」は、<iki+ara+ji>と分解されて、i+a→e(甲類)だから<ikeraji>となったもの。だから、助動詞は「あり」という助動詞としか考えられないにも拘わらず、文科省は「り(命令形接続)」と生徒に教えている。命令形に助動詞がつくという根拠を説明できない以上、こんなインチキ文法で生徒を指導しようとしている文科省の国語文法教科書検定の役人は、全く月給泥棒どころか犯罪者の部族なのだ。それを訂正できないのは、こうした文法をまともな「学問」と誤認識している、教科書作りに関わっている高校・大学の教師たちが、全く思考力がない無能者集団だからだ。

 こうした現状に、ぼくも「世に経るに……いけらじ(生きていまい)と」思い沈む絶望の淵の深さ(底)を知らない。嗚呼。

  

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コメント: 1
  • #1

    渡辺義人 (日曜日, 21 8月 2016 20:25)

    先生がそんなことを言ったら、私なんか”ポンパ、ポンパ、パンパカパーン”になってしまいます。
     質の高い文章を書く場合、重要なpointを抑えることに神経を集中させるのでほっとしたした時にミスがでたのではないでしょうか。
     今度の本は漢語だらけと言いますが、今まで出した本を読むのに辞書を頼りに四苦八苦しながら読んでいましたし、このような文章は私には書けないと思っていました。
     先日、知人に対してどうしても言っておきたいことがあって、ほんの数行だけですが、詞書と和歌(古文)で表現して手紙を出しました。これは当事者どうししかわからないし、また、だれが見てもいいように書くには便利だと思いました。私の古文が正しいかどうかは分かりませんが・・・。
     それにしても、紫式部集について先生がいろんなヒント出してくれていますがつかまりません。仕方がないと思えばそれまでですが、現代語訳本から読みなおしているところです。